奈良県で2歳児クラスを担当していた3年目の保育士です。
今は東京の江東区の認可保育園で働いています。
地元を離れて東京で働くきっかけになったのはヒヤリハットの共有という名目で週に1回職員会議で公開処刑をされていたからです。
私は新人いびりのおばさん保育士たちのせいで、ネガティブ思考に陥ってパニック障害になりました。
ひどい保育園に入ると女性特有のねちっこでウツになるのが保育士の最大のデメリットだと思います。
おばさん達に笑われ続けパニック障害になった保育士
みなさんはヒヤリハットと聞くとどんな内容を想像しますか?
子ども達の転倒や衝突、大型遊具で遊んでる時のケガに給食の時のアレルギー
こんな内容で報告書を提出したり、職員会議で共有した事のある保育士は多いんじゃないでしょうか。
これからのヒヤリハットの報告は東京に引っ越してきても、やっぱりあります。
でも、奈良の保育園にいる時に職員会議でつるし上げられてた時は
- 子どものおもらしに気がつかなかった
- お着換えした時の靴下が逆
- サインペンの置き場がいつもと違う
といった揚げ足取りの様な細かいミスを
「今週あったヒヤリハットを報告しま~す♪」
と毎週楽しそうにニヤニヤしながらみんなで私をいじめていました。
新人の私が委縮していくのが楽しかったらしく
「そんな事もできないの?」
「また同じ間違いをしてる」
とミスにもならないミスを大きな声で毎日注意されてるうちに、何をするのも怖くなってビクビクしながら過ごしていました。
いつの間にか保育園全体で使えない無能な新人と陰で言われるようになった私は保育園に行きたくないと思いながらも頑張っていたある日
いじわるなおばさん保育士たちが
「今度は何で注意する?」
「あいつこの前泣いてよ(笑)」
という会話を聞いて完全にストレスに心が打ちのめされました。
人の笑い声や話し声を聞くと全部悪口に聞こえてきて、子ども達まで私をバカにしてるように思えてきた私は大勢の人がいるだけで過呼吸を起こすようになりました。
心臓がバクバクいって息もできない私を見て、みんなが笑ってると思うと更に息苦しくなって手足が震えるというかなり質の悪い負のサイクルに陥ってしまい、退職を決意しました。
退職したあとも後遺症に悩まされたので環境を変えようと東京に引っ越しました。
人が多いから余計パニックになるんじゃないかと心配もありましたが憧れの東京生活が私のパニック障害を直してくれました。
楽しい事やワクワクする事に囲まれると病気って直るんだから人間っていい加減ですよね(笑)
私は優秀な保育士とはいえず、どちらかというとおっちょこちょいですが、人の揚げ足をとったり、誰かの失敗を笑いものにするような保育士にはならないと決めています。
仕事ができるけどいじわるな保育士、よりもおっちょこちょいでも仲間を大切にする保育士でいたいです。
パニック障害で苦しんでいた時の自分にアドバイス
保育士になって頑張るぞ!って思ってたのにひどい保育園に就職しちゃったよね。
でも安心してね。
子どものお漏らしに気がつかなかったからという理由でヒヤリハット報告書を書かせるのはそこの保育園だけだから(笑)
パニック障害が一生続くんじゃないか?
って思って毎日眠れてないと思うけど、それも大丈夫。
楽しい事と気の良い仲間に囲まれていれば鬱だってあっという間に治るから。
今のところ、あの時以上に理不尽で辛い事は起こってないよ。
保育士は大変だけど楽しいから一緒に続けていこうね。
追伸:東京ディズニーランドの年間パスポートは絶対買うべき
保育士におすすめの利用した転職エージェント
パニック障害が少し落ち着いた私を助けれくれたのは「保育メトロ」という転職エージェントでした。
私が転職で重要視したのは人間関係の他に
- 借上げ社宅制度・住宅手当が出る
- 引っ越し代を出してくれる
- 家から徒歩で通える
この3つを叶えてくれる保育園をお願いしました。
既往歴があったせいでなかなか転職先が見つからなかったのですが
コーディネーターさんが条件を満たした保育園をしっかり見つけてくれました。
上京した時にどうしてもお礼がしたくて一緒にご飯にいきました。
今でもたまに相談にのってくれる頼れるお姉さんです。
パニック障害の話をしてくれた保育士さん
サービス残業が普通だと思ってた さん
保育の楽しみは子どもたちのお着換えです。
一週間前にはできなかったのに、いつのまにか1人でパンツを履けるようになったりする過程を見てると「私も負けてられないぞ」って真剣に思います。
可愛いライバルたちに囲まれてる今の環境が大好きです。
ストレス解消はやっぱりお酒です(笑)
奈良にはなかったオシャレなバーや通いきれない飲食店を飲み歩いてるダメな保育士でごめんなさい♪